布引ハーブ園は,都市公園「布引公園」の一部です.ここは昭和42年災害の前は,なんとゴルフ場だったのです.それが下図のように昭和42年災害で斜面が大きく崩壊しました.

国土地理院空中写真に加筆

 左は災害前の姿,右が42年災害直後の写真です.右の大崩壊のエリアを左にも緑色で表示しました.

国土地理院のサイトでは、昔の航空写真が公開されています。災害後の1974年-1978年の航空写真でもまだ土石流の痕跡が残っていますので、その情報から、土石流の場所の概要をkmlファイルとして作成しました。

 色別標高図にその崩壊場所のおおむねの位置と桜茶屋(当時)の場所を入れたのが下の写真です.崩れた土砂は,沢沿いに流れて桜茶屋などを破壊したものと考えられます.

大崩壊の下には集落があったのですが,今は少しなごりはあるものの何も残っていません.今昔マップから昭和42年改測とされた地図(左の地図)と現在の地図を比べてみます.赤丸部分には昔は集落があったのですが,今は完全に消えています.昭和42年の災害で集落が無くなってしまったのです.

50年以上たっても現地にはまだ集落の痕跡が残っています.

この集落の1961年の航空写真(国土地理院)を拡大して見てみると,集落があるのがわかります.この集落が42年災害の後すべてなくなってしまいました.

なお,神戸新聞でこの時の状況を紹介している記事があります.

世継山の斜面崩壊
https://www.kobe-np.co.jp/…/rokkoug…/201804/0011154015.shtml

斜面下の集落の被災者の談話
https://www.kobe-np.co.jp/ne…/shakai/201707/0010354032.shtml

 >  布引ハーブ園の災害の歴史2  >  布引公園の災害史を歩く

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