六甲山と阪神大水害

美しい六甲の山裾に広がる市街地

神戸は,海と山に囲まれた本当に美しいまちです.六甲山は,高さは931mですが,都市部のすぐ近くにあることから,海と山に囲まれたまちを見事に演出してくれています.木々が枯れ,雪をかぶった冬のシンとしたすがた.やがて,いっせいに木々が目覚める新緑のとき.夏が終わり,順々に下に降りてくる紅葉・・・.四季を通じて,美しい姿を見せて私たちを楽しませてくれています.

 六甲山をハイキングされた方はお気づきだとおもいますが,六甲山の南側,これを「表六甲」と言っていますが,こちら側は,非常に急な斜面になっています.そして,頂上を超えた向こう側(有馬側 裏六甲ともいいます)は,ゆったりとした丘陵地形です.その丘陵地形の地域は,里山ののどかな地域を残しながら,ニュータウンも開発されています.これに対して,表側は,急な斜面の山のすぐ下に,人口100万人が住む一大都市圏が広がっています.

 六甲山がこのような姿になったのは,長い地球の歴史からみるとつい最近です.100万年前までは,まだ山ではなかったのです.それが,日本列島をとりまく大きな力によって,大阪湾から押し上げるような力が働いいて,地震を繰り返しながら六甲山の部分は高くなり,その前の大阪湾は沈んでいくということが続いてきました.この動きを「六甲変動」と言っています.

 この六甲変動によって,六甲山は表側からどんどん押し上げられ,その結果,六甲山は,海岸線に平行に稜線が走り,表側は急な斜面,裏側はなだらかな地形をしているのです.六甲変動が100万年間続いた今,六甲山の山頂から夜,下を眺めると,すぐ下の都会に住む人たちの活動が美しい灯りとなって1000万ドルの夜景といわれる素晴らしい景観を眺めることができます.

阪神大水害

 この美しい六甲山は,ときたま,表情を変えることがあります.豪雨により,表六甲の急こう配の山の斜面から,大量の土砂を下にあるまちに送り流す豪雨災害が,これまでもたびたび起こっています.昭和になってのもっとも大きい災害が昭和13年の「阪神大水害」です.

 昭和13年7月3日の夕方から降り出した雨はその日のうちに50mmを超え,翌4日には142mmを記録しました.そして5日も雨の勢いは衰えず,この日も午後1時20分に降り止むまでに270mmの降雨量となり,

 3日間での総雨量は462mmとなりました.この雨で表六甲の河川はすべて氾濫し,それぞれの沢筋に沿って急な斜面から大量の流木や岩塊が水と混ざり合った土石流が市街地に流れ込み,水道,道路,鉄道はいたるところで破壊され,電話は不通,都市の機能は奪われ,周辺は見渡す限りの泥の海と化しました.(写真は元町通5丁目)

 この大水害での死者は695名,被災家屋12万戸という大災害となったのでした.

阪神大水害の様子は次号でさらに詳しくお話しします.

 →「阪神大水害-2」

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