阪神・淡路大震災と公園

 阪神・淡路大震災では,公園がさまざまな形で使われ,あらためてその役割の重要性に気づかされました.地震のすぐ後では,水が出ないために火事がどんどん燃え広がりましたが,公園の木がそれを食い止め,隣接する広場があることで,それ以上類焼するのを防ぎ,火事はそこで止まりました.JR鷹取駅近くの大国公園では,長田方面から来た火事によりそちら側だけが黒く焼け焦げた木が生き残っています.学校だけでなく,公園に避難した人たちもたくさんいました.公園の広場には仮設トイレがおかれました.給水車がやってきました.救援物資が公園で配られたりしました.人々を元気づけるイベントが行われた公園もあります.このように,大震災により,我々は公園の重要性をあらためて痛感したのでした.

震災復興記念公園の計画と実現への道のり

 このような経験から,神戸市復興計画においても公園やオープンスペースの拡充や活用について様々な計画が提案されました.公園に防災機能を充実させたり,学校と公園を一体化したりして,オープンスペースが連携して活用できるようにする,あるいは河川などと緑地を一体化した水とみどりのネットワーク計画などです.これらの計画にもとづき,防災機能を持った広い公園がいくつか作られたり,学校の再建とあわせて市街地の中に広いオープンスペースを生み出すようなことも行われました.

 そのような公園の計画の一つに「震災復興記念公園」があります.都心ゾーンを「復興をアピールするシンボルゾーン」とする位置づけのもとに計画されました.しかし,この計画も実現にはかなりの時間を必要としました.というのは,都心ということで,用地確保の問題や事業費確保という点でハードルが高く,それへの工夫が必要とされたからです.しかし,たまたま,JR貨物の神戸港駅が廃止されることから,その場所を活用するということで方向性が定まり,平成12年2月には国の復興委員会の特定事業としても明記され,新しく始まった「防災公園街区整備事業」という事業手法を活用して整備することになりました.事業着手までに5年かかったのでした.

 この間,震災5年目となる平成12年1月に,この公園の350mほど北西の東遊園地内に「慰霊と復興モニュメント」と「1.17希望の灯り」が設置されました.また,この公園の1kmほど東のHAT神戸には,「人と防災未来センター」の建設も進められていました.1km西のメリケンパークには,神戸港の被災状況をそのまま保存した神戸港震災メモリアルパークがあります.そのため,震災復興記念公園に盛り込むコンセプトもそれらと調整を図っていくことが必要となります.震災復興を記念するための整備理念としては「①慰霊②癒し③災害文化の継承④復興のシンボル⑤防災のモデル」というような5つの機能が考えられますが,これらのうち,慰霊や災害文化の継承という要素は,他の公園や施設にゆだね,それ以外の要素を盛り込んで,しかも,市民参画型の公園として整備がすすめられ,震災から15年経過した平成22年に一部オープンとなりました.

震災復興記念公園の特徴

 このようにして平成22年1月17日にオープンした震災復興記念公園は,「みなとのもり公園」という市民公募で決まった愛称を持っています.この公園は,市民参加型で計画され,作られ,さらに,管理もされています.計画には市民のワークショップやアイデアコンペ,苗木や芝の苗を市民が植える作業に参加しました.

市民の手で芝生の苗を植える:松岡達郎氏提供

 また,ニュースポーツ広場は,実際にそのスポーツを楽しんでいる人たちから意見を聞くなど設計の細部にも利用市民の意見が反映されています.公園が完成してからの運営会議には利用者の代表も参加しています.

 この公園は,また,災害時などに防災拠点として,仮設トイレをはじめ,備蓄倉庫,非常時の電源などを備え,災害時の避難拠点の一翼を担える都心での貴重なオープンスペースとなっているのです.

震災復興記念公園の仮設トイレの展開の仕方を学ぶ学生たち

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