東日本大震災後の防潮堤の設計の考え方

 東日本大震災では,まちを守る第1線である防潮堤がほとんど壊滅的に破壊されました.岩手県宮古市田老町で,世界一と言われた防潮堤の二重の防御があっても大津波に飲み込まれたことは,防潮堤でまちを守ることの難しさを私たちに見せつけました.

二重の防潮堤を乗り越えて破壊された田老町(岩手県東日本大震災津波の記録)

 このような事実を前に,国では被災後の復興において防潮堤をどのような高さとするのかの検討がなされました.そして,防潮堤を今回のような千年に一度クラス(レベル2)のきわめて稀な大津波までを対象にしても,構造物の寿命を考えるとせっかく造っても役に立たないかもしれないことや,構造物だけでは,結局命を守りきれなかった今回の経験も踏まえて,防潮堤の高さはその地域で考えられる数十年から百数十年の間に起こりそうな津波や高潮の高さ(レベル1)とすることが決められました.(「レベル1津波・レベル2津波の設定手法」(国土技術政策総合研究所))すなわち,この決定は,次に千年に一度クラスの大津波が来た場合は,防潮堤では守りきれないと宣言しているのです.

住民がリスクを評価して決断する時代の到来

 この国の方針に従って,県では,防潮堤の高さを計算し発表しました.これに対して,いくつかの地域では,先ほどの基準から計算した計画高でも高すぎるという批判が出ました.例えば岩手県大槌町では,県は防潮堤の高さを船越湾で12.8m,大槌湾で14.5mとして提案しました.しかし,地元の地区のうち,赤浜などいくつかの地区は,あまりにも高い防潮堤は海を隠してしまい,逃げ遅れる可能性があることや,高い防潮堤に安心して肝心の逃げることがおろそかになる,などの理由で,従来の高さである6.4mで復旧してほしいと要望し,それが受け入れられました.結局,船越湾の浪板地区や大槌湾の赤浜地区は,従来あった防潮堤の高さに復旧することを選び,船越湾の吉里吉里地区や大槌湾の安渡地区や町方地区は,岩手県の提案した高さでの復旧を選んだため,同じ湾の中でも防潮堤の高さが異なるというきわめて珍しい結論が出され,その方針に沿って復旧が進められています.(「地域の状況に応じた海岸堤防の高さ等の見直し」

 また,岩手県大船渡市吉浜は,明治三陸大津波以降,高台移転を進めてきたため人的被害を最小限に食い止めることができたまちです.(「命守った職住分離」((碑の記憶:岩手日報社×岩手放送))ここでも海岸堤防の復旧高さが大きな議論となりました.ここでの設計高さの経緯は極めて複雑なためその説明は省略しますが,ここ吉浜,本郷地区の震災前の護岸高さは7.15mでしたが,県はそれを計画高14.3mで復旧したいと提案しました.この提案に対して地元の意見が震災前の高さで良い,とする意見と,やはり高い方が安心という意見に分かれてしまい結論が出せませんでした.そこで,吉浜公民館が調整役になって,関係する4集落を対象に全世帯から投票をしてもらうこととなり,その結果,圧倒的多数で現状の高さで良いということが決まったということです.

 この二つの例は,まちを守る最前線である海岸護岸の高さについて,国や県が決めた基準が住民の意見によって覆されたという,今までにない新しい動きでした.すなわち,リスクへの対応は,住民にとっては,まち全体の構造や生活のあり方,避難も含めた対応行動なども含めて考えており,一つの基準だけでは評価しにくいということを示しているように思います.ハザードの確率から求めるリスクから割り出した高さを単純に示すだけでなく,まちのあり方や生活の要素も含め総合的に評価していく新しい手法が求められる時代になってきたのだと痛感するできごとでした.

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