東北太平洋岸の地形

 東北の東海岸の地形は,よく見ると2つのタイプに分かれることがわかります.宮古から牡鹿半島までは海岸がかなり複雑に入り組んでいるのがわかります.このような海岸を「リアス(式)海岸」といいます.
(※リアス海岸と学んだ方も多いと思いますが,今はリアス海岸といういい方になっています.本稿ではをカッコでくくって表現しました.どちらでもお好きな方で読んでください.)

 一方,石巻から南では直線状の海岸形状になっていて,ゆるやかな平野が続きます.津波は,リアス(式)海岸のような入り組んだ海岸と直線的で緩やかな海岸平野とでは津波の性状が異なります.

  

リアス(式)海岸での津波

 リアス(式)海岸では,点在する入り江の奥の狭い平地部にまちができています.この地形をイメージするには,まず,山のヒダの多い地形を思い浮かべてください.そして,その地盤が海に沈んでいき(あるいは反対に海面が上がっていくイメージでもいっしょです),もとの海岸線が今の水面よりかなり下に下がった(あるいは以前の地形より水面が上がったと考えても一緒)地形を思い描いてください.したがって,このギザギザの地形の海面下にも谷の傾斜が続いていっているのです.

 津波が,このリアス(式)海岸のところにやってくると,V字型の谷の奥に行くほど津波のエネルギーが集まり津波が高くなりますし,また,陸に上がってもその高さはなかなか衰えません.いくつか事例を示します.

綾里

 次図は,岩手県大船渡市の綾里湾の海底の深さがコンタラインで示された海図です.海の底にまで斜面が続いていることがわかります.底の部分は陸に向かうにつれてどんどん浅くなっています.

みんなの海図による綾里湾の海底コンタ図 (次図と方向を合わせるため南北を右方向に回転しています)

 このような状態の海を進む津波をイメージ図で示すと下図のようになります.湾口から入った津波は湾奥に進んでいくので,水深が浅くなって津波の高さが高くなるだけではなく,湾口の断面積に比べて湾奥の方が断面積が小さく,そこに大きな断面積の海水が送られていくので,津波の高さは非常に大きくなります.ここ綾里では東日本大震災の時に,実に40.1mの遡上高さが観測されました.(大船渡市東日本大震災記録誌 「東日本大震災について」P.41)

陸前高田

 次図 は,東日本大震災で,浸水区域内での人口の約13% の死者を出した陸前高田市の津波の高さです.

         陸前高田市の津波浸水高(赤色数字)(中央防災会議の資料「東北地方太平洋沖地震を教訓とした
地震・津波対策に関する専門調査会報告」(案)参考図表集(平成23年9月28日)P.7に加筆)

 ここでの津波の高さは海岸近くで15.4m 程度でしたが,2.5km 陸側の地点で14.1m の高さ,海岸から3.6km 入った竹駒町でもまだ11.3m の浸水高さが記録されています.(なお,ここで示した浸水高さは津波の水面の「高さ」で,「深さ」ではないことに注意してください.地面の高さとの差が津波の水深になります.)このようにリアス(式)海岸では,谷の奥深くまで津波が入っていきます.そして,谷筋の奥深くまで斜面をかけ上って行った津波の水の塊は,引いていく時は斜面をすべり降りますので,非常に強い力の引き波が生じ,すべてのものを流し去ります.このようなことから,浸水域の人口に対する死者の率は,リアス(式)海岸では平野部の倍となっています.

女川

 宮城県女川町では,写真のように,この津波で鉄筋コンクリートのビルが6棟倒壊しました.(「東北地方を襲った津波の流況と建物被害」(越村ほか))

 ビルは津波に安全という神話が崩れ去ったのです.その原因は,津波による浮力や基礎部分の液状化,そして津波の流れによる転倒させる力など,いろいろなことが指摘されており,まだ完全には明らかにされていませんが,転倒の方向が半数は海に向かっていることや,目撃した人の証言などから,いくつかのビルは最終的には引き波の力で転倒したのではないかと考えられます.

 また,津波による行方不明者の85% がリアス(式)海岸においてであったことが報告されています.これは,強い引き波が,遺体を海に運び去ってしまったためと考えられます.

 → 海岸平野での津波

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