阪神大水害以降の六甲山での取り組み

阪神大水害のころと今

阪神大水害の後、神戸市では「百年の大計」として、大水害からまちを守るための復興計画が作られました。その復興計画をもとに、様々な対策が講じられました。しかし、昭和42年には、またまた豪雨が六甲山を襲い、大きな被害となりました。しかし、のちほど紹介する予定ですが、昭和13年以降、対策を行ってきたことが、被害の減少に効果があったということが指摘されています。もちろん、阪神大水害後の復興計画だけで終わりではなく、その後も、水害への備えは、時代とともに更新され、より安全になるように継続されています。

 六甲山の防災対策のお話をしていく前に、確認しておきたい重要なことがあります。阪神大水害が起こった約80年前は、神戸市はどのような状況だったでしょうか?図は、昭和7年の神戸市東部の地図です。

国土地理院

 この地図が阪神大水害当時の状況をほぼあらわしていると考えられます。図の左側を南北に流れている川が住吉川です。図の上の真ん中あたりに阪急岡本駅があります。海側の大きな集落は、東が青木、西が魚崎です。古い地図なので、横に書く漢字は右から左に書かれています。阪神大水害の直前では、住吉川から東は、まだまだ田畑が多く残る地域であったことがわかります。それから80年が経過し、この地域は、まったく姿を変えました。

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 東灘区の人口は、昭和10年ころは7万人(旧5ヶ町村)でしたが、今では21万人以上と3倍になっています。六甲山の麓は今や大都会に変貌しました。六甲山の防災の重要性は、阪神大水害の時と比べて飛躍的に高まっているのです。

六甲山の豪雨災害への対策は何が必要か?

これまで何度となく六甲山に豪雨が襲い、その麓の扇状地に災害が発生してきましたが、これを防ぐためにはどのようなことが必要となるでしょうか?そのために必要と考えられることについて、まず考えてみましょう。

一つは、もっとも直接的な要素、すなわち、豪雨による斜面の崩壊を防ぐための対策です。一番効果的なものは、斜面を緩くすることですが、すぐ上に大きな台地上の地形がないとどんどん上に削り取っていくことになり、あまり現実的ではありません。そこで、それへの対策としては斜面そのものを強くする方法(斜面の補強)や、植栽により崩れにくくするという方法が考えられます。ただ、斜面の直下に重要な施設がないまったくの山の中のような場合は、斜面の補強に対する効果という点で課題があり、すべての山の斜面をがちがちに補強していくという方法は、あまり経済的ではありません。

斜面の崩壊を完全には食い止められないとすると、次に必要なことは、崩壊した斜面から流れ出る土砂が、下流に流れ出さないようにすることです。このために、市街地に出るまでにその土砂を食い止める施設が必要となります。渓流の傾斜を緩くするために段差をつけたり、流れ出てくる土砂を溜めておく砂防堰堤(砂防ダム)などが作られます。

それでも止めきれない場合は、土砂はさらに下流に流れていくことになります。また、土砂だけでなく、降った雨水を市街地に溢れさせないということも重要になります。それらのための対策として、河川の能力を高めてやることが重要です。具体的には、河川を広げたり、深くしたり、流れ方を改良したり、急な段差の場合は浸食されにくくしたりする、など、様々な対策があります。また、河川だけでなく、市街地の雨水を排出する能力を高めてやることも重要になります。

また、河川は、市街地との境界でまったく余裕がないと氾濫の影響がすぐ市街地に及んでいきますし、河川そのものの粘り強い強さを増すという点でも、河川周辺に緑地があるような余裕が重要になってきます。すなわち、まちとの関係も考えた河川の整備も重要です。

山裾にすぐ市街地があるような場合は、山での崩壊や土石流の流出が災害に直結します。そのために、山裾の開発を食い止めて、市街地が山の上へあがってこないようにするような対策も必要になってきます。特に、住宅地として人気が高い六甲山の麓の扇状地では、これへの対策はきわめて重要になります。

また、これらの対策を行ってもどうしても災害が発生した場合には、災害情報の伝達や避難対策などソフト面の対策が命を守るためにきわめて重要になってきます。

今あげたような、斜面そのものへの対策、斜面の緑化、土石流を食い止めるための対策、河川の能力の強化、河川の粘りと余裕の増強、乱開発防止のための対策、そして、災害軽減のためのソフト面の対策などについて、六甲山では総合的な取り組みが行われてきています。これらについて、これから何回かに分けてその具体的な対策を紹介していきましょう。

 

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