篠原台の土砂災害のもととなった伯母野山住宅団地は,「阪神間モダニズムと住宅地開発」というブームの中で造成が開始されています.この時期,山手にも海沿いでも大正から昭和戦前にかけて、モダンなまちづくりがほうぼうで行われていたことがわかります。図書館で何冊か本を借り、また、ネット上でもいくつか論文を見つけました。ただ、これらの関連情報の中に伯母野山住宅街の記述はありませんでした。


 しかし,「平成30年西日本豪雨での篠原台の災害-5」でも紹介しているように,伯母野山住宅地は,神戸又新新聞の昭和7年7月から8月にかけて行われた「新神戸八景」の投票で,住宅地の部門で堂々の1位を獲得しています.(神戸又新新聞昭和7年8月9日投票結果)

 このように,造成当初は順風満帆のこの造成事業でしたが,戦後すぐの1948年の米軍の空撮写真から六麓荘(住宅地開発は伯母野山と同じ昭和初期)と伯母野山で見比べてみると、この時点で六麓荘や苦楽園はしっかりと街並みが形成されているのに対し、伯母野山は,北のエリアでは区画だけがわかるものの,家も樹木も見えず,ほとんど街らしさがありません。残念ながら,ここでは住宅地の開発は失敗に終わったとみるべきでしょう。

 なお、六麓荘の隣の苦楽園の歴史はもう20年ほど古く明治44年に行楽地や別荘として始まったようです。