求女塚ー3つの古墳の姿を干渉色で見る

 神戸の東に「求女塚」(処女塚)があって,悲恋の物語として伝えられています.道谷 卓先生の「『大和物語』の「菟原処女(うないおとめ)悲恋伝説」と生田川」でその物語が紹介されています.そこで,この物語の舞台となった3つの古墳,「西求女塚」,「処女塚」,「東求女塚」を0.5mキザミ干渉色を使って表示させてみました.

 中央が「処女塚(おとめづか)」,東西が「求女塚(もとめづか)」となっているのはなぜかは,前出の道谷先生の莵原処女伝説や「処女塚」(ひょうご伝説紀行)をお読みいただけばわかりますが,万葉集で高橋虫麻呂が長歌を読んだり,平安時代の「大和物語」などで書かれていて,古くから有名な場所であったのです.

 3つの古墳の場所は下図です.

 中央の処女塚を中心に西求女塚は2km,東求女塚は1.6km離れています.(上図をクリックすると地理院地図の同じ場所が開きます.場所のマークは出ないので,motomeduka.kml がダウンロードできるようにしてあるので,それをその地理院地図にドロップしてください.)

まず,中央の処女塚(おとめづか)を干渉色で見てみます.

 形は二つのパーツに分かれていますが,前方後方墳とのことです.(渡辺伸行「神戸の前期古墳の諸問題」西区民講座)

次に東求女塚(ひがしもとめづか)です.

 こちらは,円墳か方墳でしょうか?それとももっと大きかった古墳の一部が崩壊してしまったのでしょうか?形がはっきりしません.実は,この古墳はもともと前方後円墳でしたが,明治期に地元の人たちが壁土の工事用の土として取ったり,阪神電車の土取り工事で取られたりして小さくなってしまったのです.現在残りの墳丘と碑が公園の中に残されています.取り壊される前の大きさは,全長80m,前方部の幅42m,長さ42m,後円部の直径47mとされていて中央の求女塚よりも大きいものでした.(神戸市東灘区 先史P.16

最後に西求女塚(にしもとめづか)です.

 こちらは,前方後円墳のように見えますが中央の処女塚と同じ,「前方後方墳」とのことです.

 3つの古墳の順序は,「3世紀後半 西求女塚古墳→3世紀後半 処女塚古墳→4世紀前半 東求女塚古墳」(前出 渡辺)とされていて,西求女塚が最も古いとのことです.3つの古墳の形が違うこと,そして,方向も違うことがおもしろいですね.

 50cmキザミ干渉色は古墳を見つけるのにはおもしろいツールです.それぞれの干渉色地図をクリックすると地理院地図の干渉色図が表示されますので確認してみてください.(ただし文字は出ません)

干渉色図と他の地図との組み合わせ方法」に,この地図の作り方を紹介していますので参考にしてください.

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