奥の細道 むすびの地
松尾芭蕉が,46歳のとき,今まで住んでいた家を処分して,大旅行に出かけます.
それが「奥の細道」の紀行の始まりです.第1句は,長年住んだ家をひきはらった思いを,こう詠みました.
「草の戸も 住替る代ぞ 雛の家」
江戸から,白河,松島とすすみ,東北地方を山形,新潟,そしてぐるーっと日本海側を降りてきます.その旅の最終の地を「むすびの地」と言いますが,その場所は意外な場所です.
そこは「大垣」でした.3月に江戸を出発して150日,2,400kmの長旅でした.
なぜ,「大垣」がこの奥の細道の旅のむすびの地なのでしょうか.芭蕉はこの旅のあと,お伊勢参りに行くのです.
この大垣の地での別れを詠んだ句が
「蛤の ふたみに別れ 行秋ぞ」
春に江戸を立ったのですが,大垣ではすでに秋になっています.調べてみると,大垣市に「奥の細道むすびの地記念館」というものがあることがわかりました.
揖斐川の支流「水門川」というところの河畔です.ここは大垣城下の船町湊として栄え,このすぐそばには「住吉燈台」というものもあります.
昔はここから南へむけて船が通っていたのですね.調べてみると,このあたりの標高は河口から30km以上離れているのに,標高がわずか6m弱.川を桑名まで小さな船で下って,それから伊勢の鳥羽まで大きな船で行ったのでしょうね.
芭蕉の人生の名残をかけた大旅行はこうしてめでたく「むすび」になったのでした.
奥の細道のルートは下図のようになっています.
<参考>「旅と句 奥の細道」(芭蕉翁顕彰会)
「俳句旅行のすすめ」江國 滋(朝日文庫)