津波から企業の大事なものを守って復興ー気仙沼「斉吉商店」のお話し
2019年11月下旬の神戸防災技術者の会の東日本大震災被災地訪問において,気仙沼の斉吉商店のおかみさんのお話をお聞きしました.斉藤和枝さん.昭和36年生まれということですが(すみません,年齢を書いてしまって),本当に元気なおかみさんでした.そして,そのお話は,災害からの企業の復興や危機管理というテーマにとって非常に教訓に満ちたものでした.
まずは,和枝さんの自己紹介からお話は始まりました.
「私の祖祖父は,東郷元帥の船で,コックをしていたのです.」というところから始まり,斉吉商店の始まりを教えていただきました.特に,商店の礎を築いたおばあ様のお話は,NHKの朝ドラにしたらぜったいにおもしろい,というようなお話ですが,そこは省略して簡単に沿革を紹介すると,回船問屋から始まった稼業の関連会社として加工食品を手がけていたところに津波に遭われたとのこと.
その看板商品が「金のさんま」という食品で,たれは「返しダレ」といって秘伝のものをずーと継ぎ足して使ってきたとのことです.東日本大震災の少し前に,番頭さんが,もし何かあってタレがなくなったら大変だということで,そのタレをリュックに入れて冷凍庫に保存していたのでした.
そんなところに,東日本大震災の大津波が押し寄せました.会社では,地震が来たら白衣を着たまま着替えをせずに逃げよ,と決めていたのでみんなすぐに避難したのですが,タレを取りに行った従業員は,出発が2,3分遅れてしまい,そのために車が津波に流されてしまったのです.運転していた人は,奇跡的に海に浮かんで助かったのですが,タレを載せたまま車が流されてしまいました.ところが,3日後にその車を執念で発見し,タレもそこで発見されました.上の写真の和枝さんが説明しているテレビの中の黒いカバンが,まさにそのタレなのでした.
津波で流された店の看板の「吉」の部分がガレキの中から発見されました.
その看板は,会社の玄関に大切に飾られていました.
もう一つ,この商品「金のさんま」を復活させるために必要なものは「レシピ」ですが,それもきっちり書き残してありました.そこで,まずは「金のさんま」から生産を開始したのでした.生産を再開するにあたっても,場所もなにもない状態でしたが,知人の岩手の工場を借りるなど,さまざまな助けを得て,生産を再開します.そのとき,販路としては「小売り」で行くと決めて,スーパーなどに大量に卸さずに,取引のある百貨店などに小売りの販路を広げ,次々と商品数を増やし,今は400品目にまで増えて,順調に商売を復興させたのでした.
和枝さんがあげた復興についてのポイントを紹介します.
1.被災経験のある神戸や長岡の人に言われた言葉は「過剰な設備はダメ」
その言葉をずっと守っている.設備を大きくせずに商品を磨くことに注力.
2.「食」+「まざる」
商品だけでなく,人と人のまじわりを大切にする.
客との交流のため,プラザホテルのとなりに食堂を開いている.
コアなファンが生まれている.
3.商品をプライドを持って作っているので,それをプライドを持って売りたい.
和枝さんのお話は,企業の経営者たちに聞いてほしいことが満載でした.ありがとうございました.