海外も学ぶ復興への取り組み

 日ごろ使っていないものは災害時には使えない.日常の中で災害時にも役立つものを,という発想から出てきたもう一つの事例を紹介しましょう.

 写真は,今から9年前の2006年12月のニューオーリンズの地元紙「Times Picayune」のトップ記事です.この記事の写真は,松本地区のせせらぎです.

 2005年8月から9月に二つの巨大ハリケーン,カトリーナとリタにたて続けに襲われたニューオーリンズ市は,9月末から当時の市長が復興計画に着手したものの,半年ほどでとん挫してしまいました.その直接的な原因は,計画を事前に新聞(このTimes Picayune紙です)にすっぱ抜かれ,市民の大半を占めるアフリカ系アメリカ人を中心に不満の声が広がり,市長選挙を控えたネーギン市長が,計画を途中で放棄したためですが,その背景には,計画の進め方や,市民や行政間の不信,計画能力の欠如など様々な要因がありました.そのため長期にわたり復興計画が作られず,復興のためのアクションを起こせない状態となっていたため,ロックフェラー財団の支援でようやくもう一度復興計画を作る取り組みが始まったところで,ニューオーリンズ市の関係者が神戸の復興の取り組みを視察し,同行した記者が書いた記事がこれでした.大見出しには「復興のためのインスピレーション」とあり,トップには「日本の都市の復興は,市民に押し付けられて始まったものの,徹底的な議論と歩み寄りにもとづくものであった」と書かれ,せせらぎの写真が掲載されています.

まちにせせらぎを流したい

 このせせらぎは,兵庫区松本地区において,復興土地区画整理事業の中で地元の強い要望と,行政のチャレンジによりできたものです.松本地区は,震災で火災が発生し,まちの7割が焼失しました.被害が大きかったため,復興区画整理の対象地域となり,まちづくりについて住民からいろいろな要望が出されていました.その中の重要な要望として,行政側の当初の提案の車道10m幅,歩道7m幅という計画を歩道の幅を10mにして車道を7mと逆転させる,そして,その幅の広い歩道の中にせせらぎを通すという提案がありました.そのような提案をしたのは,震災の時に火事が消せなかった経験から,まちの中に水が流れていれば,小さいうちに消すことができるとの強い思いがあったからだと,当時の会長の中島克元さんからお聞きしました.

行政と地元が知恵を出し合った

 しかし,まちの中にせせらぎを通すということは,建設費の面や水道代,その後のメンテナンスなどの問題があり,なかなか簡単ではありません.どのようにしたらこれを実現できるか,模索している状態でした.そのことが下水道局の計画担当者の耳に入ったことから,事態は大きく進展します.下水道局では,その上流の鈴蘭台処理場で,高度処理を進める構想がありました.また,震災で下水処理場が機能しなくなった経験から,処理場のネットワーク化を進めていくことも検討されていました.そこで,高度処理した処理水を下水道ネットワークの管を通して山裾の松本地区に通し,いったん,その水を地上に出すことでせせらぎの水が確保できるのではないか,と考え,その計画の検討が行われました.新しい事業は,庁内や,国などと協議して様々な問題をクリアしていかなければ絵に描いた餅です.そのようなハードルをいくつも飛び越えて実現に向けてかなりのところまで近づいてきましたが,そのせせらぎの管理をだれがするのか,というところが最終的な問題になりました.高度処理をした非常に美しい水ですが,少し栄養価が高く藻が繁殖したりしてしまうため,その維持管理を行政がやるのでは難しいということになりました.その話を地元に出したところ,維持管理は自らで必ずやるということが決まりました.その地元の答えがこの新しい事業を最終的に実現させるカギとなりました.中島会長は当時を振り返って「せせらぎ歩道の提案が,具体的な実現可能性を持って説明がなされたことが,役員会と都市計画局の信頼関係ができるきっかけとなった」と述懐しています.(都市政策第95号1999年4月)

 せせらぎは,現在も,地元の人たちが,ブロックごとに担当地区を決め,当番制で維持管理をしています.また,ブロックごとに特徴ある工夫もしています.まちに潤いを与え,子供たちの遊び場にもなるせせらぎは,いざという時の水も供給してくれる頼もしいものです.そして,これは,まさに,官民の協働によって実現した成果でした.

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